エゴという、もう一人の自分の声に気づいた日

最初に告白します。

私の頭の中では、朝から晩まで、誰かがずっと喋っています。

「あの人の言い方、ちょっと感じ悪かったな」
「なんで自分ばっかり損してるんやろ」
「もっと評価されてもええはずやのに」

声に出してはいません。でも、頭の中の“もう一人の私”は、一日中、こうやって実況中継をやめてくれない。あなたにも、心当たりがありませんか。

エックハルト・トールの『ニュー・アース』を読んで、私はこの“喋り続ける声”の正体に、はじめて名前がついた気がしました。

それが、エゴです。

エゴって、悪者じゃない

エゴと聞くと、「わがまま」「自己中」みたいな、悪いイメージを持つかもしれません。私もそうでした。

でも『ニュー・アース』が言うエゴは、もう少し静かで、もっと根深いものでした。

ざっくり言うと、エゴとは――

「自分はこういう人間だ」と、頭の中で握りしめている思考やイメージの塊

のことです。

肩書き、持ち物、過去の経歴、人からの評価、「私は正しい」という確信。そういうものと自分をぴったり同一化して、「これが私だ」と思い込んでいる状態。それがエゴなんやと、私は受け取りました。

そして厄介なのは、エゴは“足りない”と感じ続けることでしか、自分を保てないということ。

もっと認められたい。もっと持ちたい。あの人より上でいたい。――この「もっと」が止まらない限り、私たちは永遠に満たされません。

読みながら、胸がチクッとしました。あ、これ、まさに私やん、と。

「私が正しい」を手放せなかった夜

ひとつ、恥ずかしい話をします。

何年か前、職場でのちょっとした言い合いを、私はどうしても忘れられませんでした。相手の何気ない一言にカチンときて、その日の夜、布団の中で何度も何度も反論を組み立てていたんです。

「ああ言えばよかった」「こう言い返せば論破できた」

冷蔵庫の音だけが響く真夜中の部屋で、もう終わった会話を、頭の中で延々とやり直していました。

今ならわかります。あのとき苦しんでいたのは、“本当の私”じゃない。「私は正しい」というエゴが、傷つけられたと騒いでいただけでした。

トールは、過去の痛みが体の中にしこりのように溜まって、何かのきっかけで再生される、と書いています。彼はそれを「ペインボディ」と呼びました。あの夜の私は、まさにそのペインボディに、まるごと飲み込まれていたんやと思います。

「気づいている私」がいる、という発見

じゃあ、どうすればいいのか。

『ニュー・アース』の答えは、驚くほどシンプルでした。

戦わなくていい。ただ、気づくだけでいい。

頭の中で声がうるさく騒ぎ出したら、それを消そうとしなくていい。「ああ、いま、エゴがしゃべってるな」と、気づくだけでいい。

不思議なことに、気づいた瞬間、その声は少し小さくなります。

なぜなら、その声に“気づいている私”は、もう声そのものではないからです。考えている私の、さらに奥に、それをただ静かに見ている私がいる。トールが言いたかったのは、たぶんこういうことなんやと思います。

私はこれを知ってから、夜中の脳内反論大会が始まりそうになったら、心の中でつぶやくようにしました。

「お、また始まったな」

たったそれだけ。でも、これだけで、飲み込まれずにすむ瞬間が、少しずつ増えてきたんです。

完璧に消える必要なんて、ない

正直に言います。私は今でも、エゴまみれです。

人と比べるし、認められたいし、いまだに「あの一言」を思い出してムッとすることもある。エゴが消えて聖人みたいになった、なんてことは全然ありません。

でも、それでええと思っています。

大事なのは、エゴをゼロにすることじゃない。「あ、いま自分、エゴに乗っ取られてるな」と気づける回数を、ひとつずつ増やしていくこと

たぶん、それが『ニュー・アース』の言う“目覚め”の、いちばん最初の一歩なんやと思います。

頭の中の声と、自分は、イコールじゃない。

これに気づけただけで、私の毎日は、ほんの少しだけ軽くなりました。

頭の中の声と、少しだけ距離を置く。たったそれだけのことで、肩の力が、前よりも抜けた気がしています。きっと、それくらいの付き合い方が、ちょうどいいんでしょうね。

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もし、エゴについてもっと深く知りたい人がいたら、私がこの記事を書くきっかけになった一冊を紹介しておきます。何度も読み返している本です。

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※本記事はエックハルト・トール『ニュー・アース』(吉田利子 訳)から受けた気づきをもとに、私自身の体験と解釈で綴ったものです。

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